2011年10月、台湾から遊びに来ていたクリスと五郎を友人が紹介してくれて、僕が沖縄出身だと知るとふたりがハイサイと挨拶して驚いた事を覚えている。ほどなく、五郎は三線が弾けるということをFacebookで知った。僕は沖縄で生まれたけど三線も弾けないしカチャーシーも踊れない。沖縄口も分らなくて夏は嫌いだし泳げない。台湾人の五郎は三線が弾けた。

2012年3月、僕は台中を訪れた。三線を弾く五郎を映像におさめたかったから。東京の寒さにうんざりしかけていた頃、羽田から松山空港、台北駅から新幹線で台中駅。僕は朝寝坊して飛行機を乗り過ごし10時間遅刻して、到着は23時を過ぎていたのにクリスと五郎は車で迎えに来てくれた。二人に連れられて夜市で不思議で美味しいものをたくさん食べた。次の日、美術館近くの路地裏にあるカフェに向かう。僕は二人の後ろを歩き、五郎は先生から借りて来たと言う黒い三線のケースを手に、クリスはカンカラ三線を手にしていて「これは練習用」と言った。クリスは日本語を話すので大抵彼を通して五郎とコミュニケーションをとる。カフェの裏手はテラスになっていて、そこで美味しいご飯とデザートを食べて、それから少し二人に三線を教えてもらう(この時初めて僕はクリスも三線を弾けると知った)。

それから五郎が「安里屋ユンタ」を歌う姿をビデオにおさめた。何度も演奏してくれた。後で見返すと、裏の道路でクラクションがけたたましく鳴っていたりカフェの中から客のはしゃぎ声が聞こえて来たり、でもその中でひとつ、カフェの喧噪が遠のいて路地の向こうで鳥がさえずり五郎のまわりを白い蝶が舞うテイクを見つけて、ずっと昔、夏休みになると窓の外から聞こえてきた島のいろいろな音についてなんとなく思い出した。五郎が歌った安里屋ユンタは、戦前発表された新安里屋ユンタと呼ばれる日本語の歌詞を付けたものらしい。そういえばデボラ・ハリーは英語でこの曲を歌っていた。日本語混じりの歌詞なら僕もだいたい理解出来るけど五郎はどうやって歌詞を覚えているのだろう。五郎は歌う、「マタハーリヌ、ツンダラカヌシャマヨ」。どういう意味かなとふと思った。わからないので東京に帰って調べてまたひとつ、新しい言葉を覚えた。




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