自分のさまざまな行為を通して、私はつねに私自身の伝記を書いている。かかわり合いと知識とを混ぜあわせながら、両者がふっと消えうせ、混ぜあわせるという行為自体—それは先験的に認識可能な何かだ—をさらす瞬間に対し、おのれの正当性を弁明しながら。このプロセスは、私が他人や、自分の時代や、過去の歳月を理解するに至る道筋と大きく異なるものではない。だとすれば記憶とは、消え去った出来事をうしろ向きに取り戻すことだけではなく、前に向けて送り出すことでもあるはずだ。思い出された地点から、未来の、それに対応する状況下の瞬間すべてに向けて送り出すことでもあるはずだ。
リチャード・パワーズ(柴田元幸訳)『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房、2000年)




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Futoshi Miyagi 2011-2013