2012年3月20日、新城郁夫「沖縄を聞く」を読んだ。この本は、沖縄における「問題」をクィアな読みを通して明らかにしていく。日本とアメリカのホモソーシャルな関係。そこに入りきれない沖縄という女性化された存在。女性化された沖縄のなかで抹消されるセクシャルマイノリティの存在。テキストは僕がふるさとに対し抱いていた疑問をひとつひとつ解きほぐしてくれた。その本の終わり、あとがきの言葉は信じられないほど脆く、まっすぐに響く。

三十歳を越えるあたりから、私は強い不安感に囚われ、日々に疲れ、自棄的な毎日を過ごすようになっていた。そうした自棄が、異性愛主義的な社会のなかで居場所を見つけることのできない、みずからのセクシュアリティの「問題」と深く関わっていることに二十代の頃から気づいてはいたが、自棄として現れる自身への暴力が、沖縄という植民地の政治性ととも深く連動していることについて次第に気づきはじめた。つまり、政治的な主体性を獲得していこうとする沖縄に生きる人々の運動に全面的に参入したいと切望しつつ、他ならぬ政治的主体化への動きの中心でせりあがってくる「沖縄の男」という主体への欲望に直面し、私自身の心身が、強い違和を感じ始めたということである。
-略-
沖縄戦の記憶の改竄に怒り、基地問題に憤って「沖縄の声」を代弁しようと息巻きながら、同時に、沖縄という社会のなかに深く潜む性差別から受け取る傷の深さに苦しんでいる「私」がいたが、その「私」は、自分がなにに傷つき、その傷をどのような形で言語化していいのか、なにひとつ見当もつかず、ただただ混乱するばかりだった。
新城郁夫『沖縄を聞く』(みすず書房、2010)

誰にでも生きづらさがあるとして、僕の生きづらさには著者と同様セクシャリティのありかたが深く関わっている。沖縄は僕には生きづらかった。当時は感覚的にしかそれが分らず、言葉にすることが出来なかった。僕は18歳で沖縄を出てその後ニューヨークまで逃げたとても臆病な人間だった。そこで自らのセクシャリティととりあえずは折り合いをつけられたけれど、僕の沖縄問題はそれ以来宙づりにされたまま30歳になってしまった。でもここに沖縄に残り声を出し続けている人がいる。近いところにいて僕よりもずっと苦しみぬいた強い人が沖縄にいる。

僕がAmerican Boyfriend(そして2007年に発表したThe Cocktail Party)を始めるにあたりその根底にあった疑問は、沖縄という土地において、どうもひた隠しにされているように思えてならない同性間の愛の存在だった。僕はその不可視化の圧力に抗う言語をしらないから米軍兵の恋人という嘘をでっち上げた。いったん「アメリカ」を脱政治化することで、消されたものを消されようとしているものを見つめ、もう一度政治をおこなえると思ったから。

たとえば男性米軍兵と沖縄人男性の恋愛があまり表面化しないのは、ついこの間まで効力をもっていたDon’t Ask Don’t Tellも関わっているのかもしれない。もちろんもっと暴力的な同性間の接触もあると思う。ただ、僕は前者の隠れがちな愛になんらかの希望を見いだしたい。なぜならそれは圧倒的に不可能な関係性でその不可能の先には希望の地平があるはずだから。壁(金網)の崩壊と、解放地の若々しい緑と、静かな空。たとえば解放地に忍びこんだ二人の男がたどり着いた浜辺で何かをみつめる姿。それは海へと外へと消える蜘蛛の糸ではありえない。暴力は違う暴力に、生きづらさは違う生きづらさへと取ってかわられているかもしれない。それでも僕は、その場所にいる二人が見るであろう光景を、見てみたい。二人の男。二人の女でも、ふたりの人間でも、アメリカ人でも日本人でもなに人でもいい。フェンスがなくなり地平線が低くなり青い水平線にかわり、きらきらとしたものがわたしたちの足下にたどりつく浜辺を、みてみたい。




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