アメリカにいた時はホームシックになどならなかったけれど、特定の記憶が繰り返し思い出され、帰りたくもない土地が少しずつ美化されてしまう。そんな中僕は、中学時代好きだったポップソングの歌詞をなんとなく翻訳しはじめた。中学生の頃よく聞いていて、まわりのみんな好きだったような気がするバンドの曲。

strangely sober night why am I about to cry
happiness goes on
it goes on with pauses and stutters
スピッツ「スピカ」より
よくわからない浮ついた歌詞を、僕たちは中学生として、ごく親密なやりかたで共有していた。そのころの気持ちは、確かな感触として思い出すことができた。アメリカにいることで英語が記憶を浸食し始めており、だからこそ英語で記憶を書き換える作業が必要としていたのかもしれない。けれども、外国の言葉に訳したところで、記憶はさらに遠い国のこととなり、なにひとつあの頃の記憶が正しく翻訳されることはなかった。
goodbye my sweet clover
the story is forever asleep in the corner of my diary
スピッツ「冷たい頬」より
それらの歌詞は、少し変わっていて、美しく、とても日本的なものだった。中学生の僕は、なぜ彼らの歌詞をあんなにも鮮やかに受け入れられたのだろう。それも、翻訳されてしまえばただの安っぽいラブソングになってしまう。英語は僕の母国語ではないから翻訳自体も拙いものだった。好きだった曲をアプロプリエートし、そして翻訳する行為の中で、ノスタルジー、感傷、そして同世代のひとびとと確かに共有していた思春期の記憶が変容しながらも、過去がさらに美化される様な気がして、僕はすぐにそれをやめてしまった。
I want to be a cat because my words are shallow
I hurt you so that you will stay by my side
スピッツ「猫になりたい」より



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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi