通っていた中学校の音楽室にはどこの中学校の音楽室にもあるようなベートーヴェンの肖像が貼られていて、どこの中学生でもそうするように、ベートーヴェンの両目には金色の押しピンが刺されていた。そして僕たちは、第九や第五をきいてはクスクス笑っていた。第二次大戦中にもベートーヴェンは色々な国で色々な思惑のもと演奏されていたようで、連合国ではひとびとが交響曲第五番を勝利の歌とし、日本には実話をもとにしたと言われる『月光の夏』なんて小説もある。ドイツでも、ヒトラー誕生日のフルトヴェングラー指揮による交響曲第九番演奏会の映像がYouTubeに上がっている。たとえば終戦後、島に上陸した米軍のラジオからもベートーヴェンが、例えば弦楽四重奏の13番なんかが流れていたのかもしれない。
中学生の頃、校庭を掃除していると二階の音楽室から先生がピアノをひく音が聞こえてきて、とても奇麗だと思っていたら、誰かが隣で、先生!と大きな声を上げた。音楽が止み、先生がおばけのように窓に現れる。先生、何ていう曲ですか。先生が窓から身を乗り出して、大げさに夏の光の中に躍り出る。「アデライーデ!」
そんなことはそれから忘れてしまっていた。ずっと後になって、ニューヨークに住んでいた時、友人ふたりに連れられていったレストランでこの曲が流れていて、急に思い出したのだ。この曲知っていると言うと、ベートーヴェンだ、とひとりが言った。さすがディレッタントだねともうひとりの友人がからかった。ディレッタントの意味がわからなかったけど、彼はその詩をつらつらと英語で教えてくれる。なんて凡庸な詩なんだろう、と僕は少しがっかりした。そう、「アデライーデ」。
夜のそよかぜが 若葉をそっとさざめかせ
5月のすずらんが 風の中でそよぎ
波がうねり ナイチンゲールがうたう
アデライーデ!
マティソン『アデライーデ』(wikipediaより)
ニューヨークのレストランでその曲を聴きながら、僕は島のことを思い出していた。先生に向かって叫んだYの横顔、その輪郭を描こうとした。記憶の線はゆらぎながら、輪郭を作り上げる前に背景の木々や校舎を描いて、窓枠から先生の側を通り抜けて音楽室、ピアノの鍵盤を走って校舎の向こう側に流れていった。二階のはずれにある音楽室の窓からは校舎の反対側にある裏山が見えて、そこには慰霊碑がぽつりと立っている、子供の頃は何のための碑なのかはわからなかったけれど、夏の日には先生たちに連れられてそこで黙祷をささげていた。子供だったから得に何のために祈っていたのかも知らない。記憶の線はそこで途切れて、声とピアノの音だけが聴こえる。まだ曲は終わっていない。
いつか あぁ奇跡が 僕の墓の上に花ひらく
僕の心の灰から 咲いた一輪
そしてあざやかに はなびら一枚一枚がきらめく
アデライーデ!
きれいな曲ですね。彼が言う側で僕は思っていた。よく言うよ、肖像画に押しピン刺したくせに。



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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi