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2002年12月。沖縄に里帰りして、ひょんなことでネイチャーボーイとクリスマスイヴを過ごすことになった。僕は帰郷しても友人と連絡を取りたくなくて、彼は特にクリスマスに興味がないように見えた。たしか僕は21くらいで、ネイチャーボーイはひとつ年下だった。僕が知っている彼の情報といえば、年齢、体重、身長、出身の離島くらい。メールのやりとりを、何度か。僕は別の離島出身のその少年に、親近感とエキゾチックな魅力の両方を感じていた。僕の島は中途半端な場所に存在しているけどやはり沖縄本島の文化圏に属していて、彼は宮古の出身だった。

教えられた首里の住所は、住んでいた那覇の家からも歩いて行けそうな距離だった。僕はちょうど写真を習いはじめていた時期で、ニコンの一眼レフを肩から下げて出かけた。できるなら、彼の写真を撮りたいと思っていた。写真を撮りながら金城町の石畳をのぼる。がじゅまると、ヤシの木。黒猫がいた。首里城。ウタキがある。ちいさな小径の行き止まりには、古ぼけた椅子がふたつ。そうしているうちに、彼のアパートにたどりついた。ドアをノックすると、すぐにドアが開いて彼が現れる。彼は僕より少し背が高いくらいで、ぼさぼさの長い髪からめんどくさそうにのぞく切れ長の目は自然児というよりも落ち武者みたいで、その姿に僕はほっとする。レコード・プレイヤーからはナット・キング・コールの『ネイチャー・ボーイ』が流れていて、やっと彼の名前の意味を理解する。父親やおじさんたちがジャズやブルース、クラシックをレコードでかけてくれて、そのなかの一つがナット・キング・コールだった。島ではみんなそうやって音楽を発見して自分たちのものとしていったんだ、と彼が言う。彼の住む島には、その島なりの文化があるみたいだ。『ネイチャー・ボーイ』は僕が「発見」したのだ、と彼が言った。変なことを言う人だと思ったけど、その音楽をシェアしてくれているというのはどこか嬉しくもあった。

それから真夜中まで泡盛を飲んで、ネイチャーボーイは自分の家族について語りはじめた。両親が離婚して、姉を父親が、彼を母親が育てることになり、それがショックだったこと。なぜ父親は自分を選ばなかったんだろう。ナット・キング・コールのレコードは、父親の部屋にあったものを盗んできたもので、もう二年も島には帰っていない絶対に正月も成人式も島に帰らない。そこまで言って彼が泣いて、僕はその唐突な感情の発露にどうしていいかわからず、テーブルのこちら側で固まる。こうすればいいのかなと自分の手を彼の手の上にそっと動かしてゆく。ぽたぽたと畳に涙があたって涙ってあんな音がするのかと思いながら手を下ろしかけたところで、彼がすっと手を引いて泡盛をあおった。僕は馬鹿らしくなって自分のグラスをあけた。僕たちはどんどん酔っぱらって、さまざまな小さな問題と大きな問題についての告白をかさねた。ぽたぽたと音がする。空が白みはじめた頃、彼がタバコをくゆらせながら、先ほどのレコードを取り出してプレイヤーにおろす。ケースはぼろぼろだったけれど、大切に扱われているのは見てわかる。僕は少しずつ『ネイチャー・ボーイ』を好きになっていた。曲がおわり、またねと握手して僕は部屋をでた。クリスマスの朝だった。僕は彼の部屋にカメラを忘れてしまう。彼の写真を撮ることはかなわなかった。撮っていれば良かったと今でも時々思う。その日のことを思い出せば、ネイチャーボーイの顔や、彼や僕が抱えていたはずのさまざまな問題はすっかり記憶から消えている。彼がそこにいたというぼんやりとした感情だけが、『ネイチャー・ボーイ』のメロディーとともに、立ち現れてはきえてゆく。もしも写真を撮っていたら、十年後の今、それはどのように風化し、どのようなアウラをたたえているのだろう。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi