東京。タワーレコードのクラシック階でCDを適当に手に取ったり棚に戻したりしていると、「A Chloris(クロリスに)」というクロリスの名を冠した歌曲名が目に入り、視聴する。美しいバロック調の歌曲ながら、作曲されたのは20世紀初頭。作曲家の名はレイナルド・アーン。聞き覚えのない名前だったので調べてみると、プルーストの恋人だった男性らしい。とたんに興味を持ち、アーンとプルーストの関係について書かれたウィリアム・C・カーターの『Proust in Love』を読んでみる。

ベネズエラで生まれてパリに渡り、作曲家として名を馳せ華やかな世界に生きていたアーン。彼はサン=サーンスの弟子で、プルーストは度々彼にサン=サーンスのヴァイオリンソナタからの一節を引くよう頼んだという。でも、アーンがひとりで弾けるのはピアノかヴァイオリンのどちらかのパートで、おそらくピアノだったはず。

僕はさっそくサン=サーンスのソナタを聴いてみた。プルーストが好んだのは、第一楽章のどこからしい。でも、僕は第二楽章後半が好きで、そこばかり聴いてしまう。ピアノのパートだけでいいから弾いてくれないか、そんな風にプルーストはせがんだのだろうか。時代は、19世紀の終わり。まだふたりとも若くて、アーンは「クロリスに」を作っていないし、プルーストも『失われた時をもとめて』を発表していない。ふたりの恋は長続きせず、しかし友人として長く交流を続けた。

フランス語だったために聴きててもよくわからなかった「クロリスに」の歌詞は、調べてみると意外と凡庸な恋の詞で、なぜ彼が20世紀初頭にこんな音楽を作ったのか、と疑問に思う。詩は、17世紀の詩人テオフィル・ド・ヴィオーによるものだった。アーンがこの曲を作ったのは『春の祭典』と同時期。第一次大戦も近づいていた。かつて恋したプルーストとの思い出が、激動の時代に入ろうとするヨーロッパに生きるアーンの、心の拠り所となっていたのだろうか。それが、このような懐古調のメロディーを生み出すきっかけになったのか。ふたりの関係に思いを巡らせながら、何度もリピートして「クロリスに」の甘美なメロディーを聴いていた。YouTubeで映像を探してみると、カウンターテナーのジャルスキーが歌っているものが見つかった。

大切なものと引き換えにもたらされる天の喜び
そんな死など 私はいらない

アンブロワジーですらも
あなたの瞳が私にもたらしてくる甘美な空想にはかなわない
テオフィル・ド・ヴィオー詩・レイナルド・アーン作曲『クロリスに』より

 




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