作業中数人の米兵が私たちをとり巻き、「トウキョーバーン、オーサカバーン、ヨコハマバーン」と口々にいった。日本中の都市が爆撃で焼かれたことを私たちに知らせようとしているのだとわかった。また戦艦大和が撃沈されて、日本には軍艦も飛行機もなくなったことを知っているか、と何度も訊いた。作業が終わると、私たちを椅子にかけさせてラジオのダイヤルを回した。ラジオからは日本の流行歌が流れてきた。「潮来出島に咲く花は 噂ばかりで散るそうな 同じ流れを行く身なら 泣いておやりよ真菰月」。懐かしい女性歌手の唱声が胸にジーンときた。米兵は私たちに、「東京ローズを知っているか」と何度も訊いたが、何のことかわからなかった。
渡辺憲央『逃げる兵』(文芸社、2000年)より
僕が生まれた島の浜辺、収容所にいたふたりの日本兵がアメリカ兵たちとともにラジオを聞いていた。日本のラジオだ。米兵たちが夢中になっていた東京ローズはどんな曲をラジオで流していたのだろうか。東京ローズとは、『リリー・マルレーン』のハンナ・シグラのような存在なんだろうか。ファスビンダーの駄作と揶揄されるその映画で、シグラはハーケンクロイツの前で『リリー・マルレーン』を歌い、確かにそのシーンだけいまでも良く覚えている。その歌は、ララ・アンデルセンやマレーネ・ディートリヒがじっさい第二次大戦中に歌い兵士たちの心を安らげたという。ドイツ軍のみならずイギリス軍もこの曲に耳を傾けたそうだけれど、ドイツの言葉がわからないイギリスの兵士達はどのような思いでこの曲を聞いていたのか、わからないからこそ素直に耳を傾けたのだろうか。そして、日本のラジオで、この曲がながれたことはあったのだろうか。
兵営の前、門の向かいに
街灯が立っていたね
今もあるのなら、そこで会おう
また街灯のそばで会おうよ
昔みたいに リリー・マルレーン
(中略)
もう長いあいだ見ていない
毎晩聞いていた、君の靴の音
やってくる君の姿
俺にツキがなく、もしものことがあったなら
あの街灯のそばに、誰が立つんだろう
誰が君と一緒にいるんだろう
恋する兵士の歌は、どこか沖縄の『西武門節』やアメリカ兵が歌う『Road to Naminoue』にも似ている。そこにはいつも、門が、ゲートがあって二人を分かつ。こちら側と向こう側をふわりと飛び越える音楽はたしかに存在していたけれど、人間たちは音楽という永遠のなかで、いつまでも引き裂かれたまま。それは少し、残酷でもある。



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Futoshi Miyagi 2011-2013