二日目は違う場所で撮影した。ずっと、『オーシャン・ビュー・リゾート』のYのように、彼がHOPEを吸っていた。2月に会った時も吸っていただろうか?思い出せない。彼がベランダに出て、カーテンの向こうでタバコを吸いながら眼下の川を横切るタンカーを見つめる。そしてカーテンのこちら側に戻り、窓を開けたまま三番の歌詞を歌い始める。この日は、ほとんど歌入りのテイクばかりを撮っていた。撮影した部屋からは那覇軍港、フェンス、その向こうに自衛隊駐屯地が見える。ここでも、両側が見えている。外からの騒音で声がかき消そうになり、飛行機の音や救急車の音に遮られるように歌は中断され、彼がHOPEを吸い、映像は終わる。

「両側を見た」と歌うこと、それは諦めであるとも解釈できるし、結局『花の名前』と同じ循環に回収されることなのかもしれない。でも、「人生については 結局何も分からないまま」という言葉と中断された音楽は、これからも続いてゆくその先の人生を想像させた。とってつけたようにHOPEを吸う彼がカーテンのこちら側に存在していることが、沖縄における人と人との関係性の新たな糸口を、そしてある種の希望を僕にもたらしてくれた。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi