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7月末。京都での個展が終わり撤収を済ませた僕は、時間があったのである場所を探しに行くことにした。京都駅を出て、京都タワーを前に塩小路通を東へと進む。ビルの立ち並ぶ賑やかな駅前からすぐに風景は開け、古ぼけた市営住宅を横目に、夏の日差しを遮るもののない歩道を歩く。黒川創による短編小説『旧柳原町ドンツキ前』の、ドンツキ=行き止まりを探す。ここだろうか、と見当をつけた交差点を南に折れる。目の前を線路が何本も走り、その下をくぐるように車道が通る。車道脇にじぐざぐに折れ曲がり下る歩道があって、向こう側に渡ることが出来るようだった。しかしその先には行き止まりらしい場所はなく、八条通の向こうへと河原町通は続く。そこで初めて、今しがた歩いてきた線路手前の場所がドンツキだったのだと気づいた。

来た道を引き返し、改めてそこに広がる風景を見る。奇麗に整備された、けれども寂しげな広場があって、ベンチに座る年老いた夫婦らしい男女が静かに語り合っていた。線路と広場の下を走る河原町通は広場の先でふたたび地上に出て、北へと進む。広場を歩いてみる。西側には市営住宅。シャッターが下りた一階の店舗の前にはプランターや植木鉢が並ぶ。東側の塀と木々に囲まれた敷地からは子供の手を引く女性がぽつりぽつりと出て来る。保育園があるらしい。その門の前まで来て、保育園に隣接するように立つ若草色の奇麗な洋館を見つけた。旧柳原銀行だった。その銀行については、『旧柳原町ドンツキ前』でも触れられていた。

被差別地区の住民が、自分たちの手で地元に創設した、日本でただ一つの銀行だった。
黒川創『旧柳原町ドンツキ前』(新潮2014年7月号より)

小説によれば、僕が立つ広場から見て左手にあったはずの銀行は、道路拡張工事に際し、そこから道を挟んだ反対側に移設され、今も残っていた。

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『旧柳原町ドンツキ前』の物語は、1994年、印刷会社に勤める主人公西口健志が、「古地図で歩く京都」というムック本を手がける出版社に呼ばれ、江戸時代の古地図にあった「非人小屋」という表記をフォトショップで消して欲しいという依頼を受けるところから始まる。30歳を少し過ぎた健志がかつて少年・青年時代のある期間を過ごした場所は、その非人小屋があった場所と重なっていた。健志が十代だった頃、まだ京都には市電が走っていて、河原町通を南下してきた市電は塩小路通のドンツキ前(正面には「ドンツキ靴鞄店」という大きな看板を掲げた店があった)で急なカーブを描いて西に進路を変え、終着駅である京都駅へと向かう。市電が走っていた頃は、この界隈も靴屋や革製品のお店が並び賑わいを見せていた。それよりもずっと昔、そこは六条村と呼ばれていた。

六条村は、皮革業と、犯罪人の処刑や捜索にあたる警刑使役を主な生業としてきた村だった。この身分を秀吉の政権は「皮多(かわた)」と呼んでいたが、江戸時代なかばごろには京でも「穢多(えた)」と呼ぶことが多くなる。
(同上)

僕がその交差点を訪ねた時には、市電の面影も、「ドンツキ靴鞄店」の看板もなかった。柳原銀行も移設されていた。大きな道路をひっきりなしに車が走り、新幹線と交差するようにトンネル下を抜けてゆく。通り沿いに靴屋や革製品の店はちらほら見かけたけれど、閉まっている店も多い。

地図の表記を消す…土地の記憶を消す。出版されたあとには知る由もない小さな行為で、歴史が塗り替えられて行く。あくまでもフィクションではあるけれど、とても穏やかな語りの中で、そのようなことが行われている。読んでる方も読み流してしまうほどに、淡々と。健志はそのことに違和感を覚えながらも、特に声高に反対することもなく、かつて少年時代を過ごしたその地域のことを回想する。家族ぐるみで交流のあった、柳原銀行のはす向かいの中野履物店を切り盛りする夫婦、彼らが所有していた近所の空き家を下宿に改装するための手伝いに来た、キリストみたいな(中野のおじさんがいうには「ヨセフ」)ヒッピーの若者。京都駅のひとつ手前、市電塩小路高倉駅で健志を下ろし、そのまま東京へと去って行った母親。父親との二人暮らし。大学に進学し、キリスト/ヨセフが改装した下宿に住みだした健志。同じ頃下宿に住んでいた、セックスの最中に相手に暴力を振るう癖のあるアキラ。時々アキラの様子を見にくる姉の美雪…。そして、一泊の小旅行で向かった宮津、そこで早朝に目撃した精霊舟の舟出。

小説のなかの「現在」では健志は50代になっていて、「非人小屋」も消え、市電も消え、ドンツキも消えた。現実においても、それは同じだった。僕には、それらの記憶を感じとることができない。東京に帰ってきて改めて読み返した、京都を舞台にしたこの短編小説は、下記のような言葉で始まっていた。

「ない」という言葉の過去形は「あった」という言葉である、と言う人がいた。「ない」と言うのは、かつてそこに何かが「あった」ことを知る者だけである。反対に、「あった」と明言することは、いまはもう「ない」のだ、という事実を示すだろう。
(同上)

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