Botticelli-primavera
ボッティチェリは、ふたつの絵画でゼピュルスを描いている。ひとつめは、『プリマヴェーラ』。画面の右側に、穏やかな風の神に全くふさわしくない真っ青な顔で女性に襲いかかるゼピュルス。襲われる女性はクロリスで、彼女の口からは花が溢れ出そうとしている。そのクロリスの隣で優雅に花柄のドレスをまとっているのがフローラであると言われ、ここではクロリスからフローラへの転身が描かれていることになる。

もうひとつは『プリマヴェーラ』の数年後に描かれた、『ヴィーナスの誕生』。ゼピュルスが誕生したばかりのヴィーナスにそよ風を吹きかけている。表情は、「プリマヴェーラ」のそれよりもずっと穏やかだ。そのゼピュルスに抱きつく女性。諸説あるようだけれども、一説には彼女はクロリスであるとと言われている。二人が抱き合っているということは、フローラであると認識してもよいのだろうか。どこかうつろな目をした彼女は、どのような思いで花をそよ風にのせて、ヴィーナスに送っていたのだろう。オイディウスの詩を読み進めると、フローラの語りは、下記のように終わっていた。

何度も私にゼピュロスは、『おまえの婚資の花をおまえが自分で潰すことはしないでおくれ』と言いましたが、私にしてみれば、その婚資の品はもう安っぽいものでした。

オリーブの花が咲いていたとしますと、いたずらな風が傷つけました。穀物が花を付けていたとしますと、雹(ひょう)が穀物をいためました。葡萄の収穫が見込まれていたとしますと、空が南風とともに真っ暗となり、突然の雨で葉が叩き落されるのでした。

私は非情なまでに怒ることはありませんし、そのときもそのつもりはなかったのです。けれども、気を取り直そうという心持ちにもなれませんでした。
オイディウス著(高橋宏幸訳)『祭暦』(国文社、1994年)

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