「人はふるさとをもたなくてはならない、それを失うために」
Jean Amery (著者訳) “At the Mind’s Limit” (Indiana University Press, 2009)

沖縄について僕が考えるとき、ジャン・アメリーのその言葉を思い出す。アメリーはオースラリア出身で、本名はハンス・メイヤー。彼は自身について「ユダヤ人でない訳ではない、だから私はユダヤ人なのだ」と語っていて、ユダヤの血は引いているけれどユダヤ教徒でもなく、ユダヤの生活様式にのっとった暮しをしていたわけでもない。けれどもナチズムの台頭により、強制的にユダヤ人化されてしまう。アントワープに亡命するものの、そこでレジスタンス活動に加わり逮捕されてしまい、アウシュヴィッツやベルゲン・ベルセンの収容所に収容される。ひどい虐待をうけながらも生き延びてそして戦後、パリにてフランス語のペンネームで文筆活動を始める。戦後。故郷が消滅してしまう感覚。誰もいない。破壊されている。知らない誰かが住んでいる。一方で、イスラエル建国に湧くユダヤ人たち。1978年、自殺。

ツェランという詩人を僕は知らなかったけれど、ふと「パウル・ツェラン詩文集」を読み、斎藤環さんと堀江敏幸さんによるトークショー「ツェラン 言葉の力」を聞きにいった。トーク中に堀江さんが言った、ツェランは「敵の言葉」であるドイツ語で詩を作り続けた、という言葉で気がついた。沖縄の戦後作家達も日本語で書く。アメリーもドイツ語でテキストを書いた。一種の復讐なのかなと思ったけどそうではなさそうだった。伝えたい相手と、言葉。

「言葉だけが、失われていないものとして残りました。」

「わたしはこの言葉によって詩を書くことを試みました—語るために、自分を方向づけるために、自分の居場所を知り、自分がどこへ向かうのかを知るために。自分に現実を設けるために。」
パウル・ツェラン (飯吉光夫訳)『詩文集』(白水社、2012)

戦後。ドイツ語を使い最愛の母をうたうツェラン。パリに住みながらドイツ語で書き続けたアメリー。言葉への絶対的な信頼。日本語で文学を綴る沖縄の作家たち。彼らもまた、身体のまんなかから抜け落ちたような、失われた言語を探しもとめている。ぽっかりと開いた空洞から漏れる遠いささやきを、日本語に翻訳し活字化している。静かな波のような言葉たちと、そのかけらを丁寧に拾い集める書き手たち。届くはずのない言語に近づくすべは言語以外にありえなくて、言語は、失ったふるさとを模索する営みなのかもしれない。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi