I once had an American boyfriend 1

2000年代なかば、まだニューヨークに留学していた頃。待ち合わせ場所にしていたユニオンスクエアで、男友達が来るのを待っていた。数日前彼に勧められ、その日の午後観た『二十四時間の情事』のことを思い出しながら。夏の夕暮れ、ふと気づくと、うす暗い公園の歩道に若い女性がチョークで何かを書いている。僕の足元で最後の「A」を書き終えた女性は、何も言わずに立ち去って行った。書かれていた言葉は、「REMEMBER HIROSHIMA」。

広島についての映画を観た後に、なんという偶然…そう思いながら僕は、その文字を人々の靴が少しずつ踏み消してゆくさまを見ていた。しばらくしてから、その日が8月6日であることに思い当たった。僕は広島のことをすっかり忘れながら、その日に『二十四時間の情事』を観て、そして「REMEMBER HIROSHIMA」の言葉を眺めていた。それらが頭のなかで結びつかない程に、遠い場所に来てしまったようだった。やがて男友達がやってきて、夕食に適当な店を探す。今日、『二十四時間の情事』を見たよ。そしたらさっき、ユニオンスクエアで女の子が「REMEMBER HIROSHIMA」って書いていた!そう言ったけど、男は、はあ、と返しただけで、イーストヴィレッジで見つけた蕎麦屋の看板やメニューを眺めていた。彼の中では、何も結びついていないようだった。僕たちは、その蕎麦屋に入った。

広島について、考えたことはある?アメリカ生まれの彼にそう聞いてみた。ひどいことだ、彼は言った。ひどいことだ?その言葉に少しひっかかりながらも、僕たちはオーダーを始めた。ざるそばと、にしんそばを。あと、ビール。他の土地で起きた戦争について考えることは、とても困難なことのようだった。サッポロの瓶ビールを、ちいさなグラス二つに注ぐ。なぜ、あの映画の舞台は、広島だったんだろう?僕は素朴な疑問を彼に訪ねた。デュラスがそれについて何か興味深いことを書いていた気がするけど、何だったかな…男は思い出そうと、グラスを持ち上げたまま中空を見つめた。フランスで終戦を迎えた彼女は、広島と長崎のことを知ったとき、あまりの衝撃に気を失ったそうだ。そして、ナチスの収容所で死んでしまった膨大な数のひとびとのことを…それきり彼女は戦争について語ってこなかった。なのに、なぜ広島を?にしんを箸でほぐしながら、僕は聞き、彼がつゆをそばにかけようとしたのであわてて止めた。質問に彼は、さあ、とだけ答えて、薬味の載った皿を持ち上げて見つめている。僕は、彼の手をお盆に戻されたつゆの上に誘導しながら、「喫茶どーむ」で瓶ビールを分け合う二人の恋人たちのシーンを思い出していた。よりそう二つの、まったく違う場所で起こった戦争の記憶。そのつかの間の連帯に、何の意味があるのか。僕は彼がそばを食べはじめたのに安心して、瓶ビールをもう一本頼んだ。あの、川沿いの喫茶店でのシーンで流れていた音楽が、忘れられないんだ。僕は言った。

「喫茶どーむ」での音楽を作曲したジョルジュ・ドルリューにとって、『二十四時間の情事』が彼の映画音楽デビューで、その後はトリュフォーの映画の音楽を多く手がけた。そばを食べ終え、ビールを飲みながら男が言った。『アメリカの夜』も?僕は聞いた。そう、『アメリカの夜』も。あの映画のオープニングが大好きだった。男も、あの映画がトリュフォー映画の中で一番好きだ、と言った。映画史に残る最良のオープニングシーンだね。完璧だった。男が小さなグラスを傾けて大げさにしみじみと呟き、それからふたりで映画に乾杯して、すっかり広島のことは忘れてしまう。

帰り道、ユニオンスクエアの駅に下りる前に、先ほどのチョークの文字列を探したけれど、踏みつける足たちによって奇麗に消されてしまっていた。そんな言葉、もともとなかったかもね、と男が言った。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi