小学二年の頃、ちょうど昭和が平成にかわる頃、一年だけ那覇の泊に住んでいた。なだらかな丘の町で、記憶は曖昧だけれど丘の向こうには解放地と呼ばれる広大な土地があった。軍用地が返還されて那覇新都心として開発されるまでの間、そこはフェンスに囲まれたとても広い空き地だったはず。当時母が入院していたので僕は父と多くの時間を過ごしていた。日曜日早朝、父と一緒に丘の向こうに散歩して解放地の中に入った記憶がある。確かに覚えている、そこには森と呼ぶには未熟な深緑色の空間が広がっていて、たばこをおいしそうに吸う父とその風景を眺めたこと。ここに何が昔あって、何が今こっそり隠されていて、この先何が出来るのだろうと未来について想像しながら。このあとに父はタバコも酒もやめた。母に気をつかってのことだろう。天久解放地と呼ばれていた広大な敷地は、現在おもろまちと呼ばれている。いびつな建物が並ぶ開発途上のあまり美しくない風景。小学二年生の時みた風景を重ねようとしても無理だった。グーグル検索でも当時の風景を見つける事はできない。そういえば、解放地という言葉を聞かなくなってずいぶん経つ。




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