2012年6月29日。那覇空港19:35発東京行き。僕はビールを飲みながら、クン・ウー・パイクのブラームスのピアノ協奏曲一番を聞いて、よしもとばななの『スイート・ヒアアフター』を読んでいた。ほろよい、甘い世界が心地よい。iPhoneでツイッターを開けば、その夜官邸前デモが最大規模になるようだった。僕はこのところ、おおい町に住む子どもがどのような思いでいるのか想像してみようとしている。1991年、湾岸戦争が始まった時僕は小学四年生で、その時母親が入院していた事もあり、那覇の繁多川に住んでいた。僕は、とても怖くて、爆弾のことばかり想像してトイレから出られなくなったりした。小さな恐怖は、だれにも届かない。大人達は、平気そうだったし、中学生の兄ふたりも何も気にしていないようだった。勇気ある人たちだなと思っていた。フェンスの向こうの人工の丘、その地下には実は核爆弾があって、いつか戦闘機がそこを爆撃して、爆発する、子どもらしく、そんなことばかり想像していた。

あの時、那覇にいたであろうアメリカ人に対しての気持ちを思い出せない。そして彼らはどう思っていたのだろう、基地に住む子どもたちは。

ふと目を上げると、前の方にアメリカ人の兵隊が10名程談笑していた。皆大きな体で角刈りだったから、きっと海兵隊員なのだろう。このなかに、結局撮影に現れなかったアンドリューがいるのかもしれない。そんな事を思いながら視線をずらすと、離れた席に一人でヘッドフォンで音楽を聴きながら本を読む青年がいた。髪型は一緒だったけど他の兵士たちより幾分華奢だった。

何を読んでいるのだろう。僕は『スイート・ヒアアフター』を読み進める。お腹に鉄パイプが刺さり一度死にかけた主人公、死んだ恋人、ゲイの隣人、沖縄人のバーテンダー。あいかわらずみんな現実離れしていてふわふわしているけれど、その世界をもすんなり受け入れられる。目の前のアメリカ人と仲良くなる事も、もしかしたらそんな風に簡単な事なのかもしれない。僕たちの関係はもっと単純なのかもしれない。でも、僕は声をかけずに飛行機に乗り込む。




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Futoshi Miyagi 2011-2014